死を意識する

と言っても今、死にたいとか死にそうだ・・・って事じゃないです。
ネガティブ思考な事では無いです。むしろ前向きです。


転職するにあたり、色々と考えてましたが
その時に、俺のエンジニアとしての残り時間ってどれくらいあるのかな?と考えた。


30を過ぎてちょっと経つけど時間は有限であると言うことを
肌で感じるようになってきた事が大きい気がする。


20代の頃に比べて体力的に落ちてきたこともあるかな?
時間の流れが速く感じるようになってきたこともあるのだろうな。


何かを成し遂げようとする事に、継続は力になる事が分かり
しかし時間は有限である事を実感し始める。


でも何かを成し遂げるためには、何かを継続していかないといけない。
つまり、それは何かを捨て、何かを選択することなんだって気づく。


そこで表題の「死を意識する」って事なんだけれど
これは時間が有限である事を実感するためのツールであると言うこと。


人間どれだけ生きても、エンジニアとして前線で働ける時間って限られてくると思うんだよね。
でも無駄にダラダラやってたら、前にも書いたとおり有限である時間を無益な時間にしてしまう。


その為には死を意識することによって自分の中に一種の恐怖感を植え付ける。
これによって時間の大切さをマインドコントロールでは無いが
少しでも意識できる様になるんだと思う。


そして人間にとって「死」と言うのは最低限のボーダーラインであると言うこと。
これは最近思ってることで「失敗しても死なないんだから大丈夫」って事かな。
口では簡単に言う人が多いだろうけど、これを真剣に「死」について考えると
本当に何でもチャレンジ出来ると思うんだよね。
だって最低ラインなんだから・・・


これが最低限のラインがお金だったりすると何もチャレンジ出来ないんじゃないかな・・・


人間、死と向き合うことで強くなれる気がする。
俺は親父が亡くなるときに「死」と言うものを真剣に考えた。
そのお陰で、このドタバタで冷静に考えることが出来たんだと思う。


失敗しても死にはしない。

チャレンジしなくても生きて行ける。
けど俺はチャレンジしていきたい。


チャレンジして失敗しても死ぬ訳じゃ無いんだし
チャレンジしなきゃ損なんじゃないかな?


最後にアメリカの思想家、エマーソンの言葉から

重要なのは人生の長さではない。
人生の深さだ。