電車がマンションに激突・・・エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

常識の範囲では・・・というか想像を超えた事故ですね・・・
有り得ない事は無いのだろうけど・・・ビビると言うか何と言うか・・・

まぁサリン事件、阪神淡路大震災等々、今まで生きてきた中での経験則と言うものはあっさりと崩され、驚き新たな経験となって人間に蓄積されていくんだろうけど・・・

電車がマンションに激突ですよ・・・マンションに住んでる人は想像しなかっただろうし・・・偶然に偶然が重なり必然に変わったのだろう・・・

しかし何とも物凄い事故が起きるものだ・・・
何てコメントして良いのか分からないけど記事を書かずには居られませんでした・・・
なので変な事しか書いてません・・・ゴメンなさい・・・


こんな事故じゃ被害者になりうる我々は何の防御策も持たない訳で、こういった事故から身を守るとしたら引き篭もるしか無い訳で・・・

どうしたら良いんですかねぇ・・・本当にビックリするしか出来ません・・・


15時現在:死亡49人・負傷230人
JR西日本の事故LevelはMAX5の5段階でLevel4だそうだ・・・
史上最悪ではないにしろ、それと同等の扱いらしい・・・

扱いをそういった段階に持っていく事も大切だが、現状の人命救助及び
再発防止対策を明確に打ち出し、今後、利用者が安心して電車に乗れる体制作りを迅速に行っていかなければならないと思う。
今日、明日で、どうにかなる問題では無いだろうが我々利用者は今日の帰りも、明日からも毎日利用しないといけないのですから・・・

犠牲者の方の冥福をお祈り致します。

JR脱線事故、73人の死亡確認・救出作業続く 2005/04/26

一夜明けて事故発生から24時間が経過致しましたが依然救出活動が継続されているとの事・・・
深夜と朝方に2名の男性が救出されたらしいが意識レベルが低く重傷だと言う。
まだ夜になると冷え込む天気で事故車両の中で怪我をして壁一枚隔てた車両内は想像出来ないが相当酷い状況なのだろうが、その中で寒さに身を震わせながら意識を保って救出を待つのは相当に辛い事だろう・・・

一刻も早く救出活動が終了する事を願うのみです。

昨日よりの夕刻から更に20名以上の方がお亡くなりになられました。
本当に本人、遺族の方はやり場の無い怒り、悲しみに覆われている事でしょう。
心からご冥福をお祈り致します。

尼崎脱線事故:22時間ぶり救出 現場に「明」と「暗」

 「未熟な運転士に仕事をさせていたなんて」−−。悪夢の一夜が明けても、死者が増え続ける兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故。突然の悲劇に、かけがえのない人を失った遺族らは怒りをあらわにする。大型連休を前に「安全神話」は打ち砕かれた。一方、現場では26日に入り、全力を挙げた救出作業で3人の乗客が救い出された。緊迫した状況の中で、安堵(あんど)と喜びの声が響く。事故現場に「明」と「暗」が交錯した。

 脱線し無残にひしゃげた1両目に閉じこめられたまま生存者の救出作業が、夜を徹して続いた。26日午前0時過ぎに大下裕子さん(46)=兵庫県西宮市北六甲台、同2時6分に近畿大1年、山下亮輔さん(18)=同県伊丹市中野東2=を救助。さらに同7時10分ごろ、同志社大2年、林浩輝さん(19)=同市瑞穂町1=が運び出され、病院に搬送された。

 「もう少しだ、がんばれ」。救急救命士らの励ましに、林さんは「わかりました」と手を握り返して苦痛に耐えた。暗闇の中で片手で訴え続けた「SOS」。それが事故から22時間ぶりの救出につながった。

 林さんは当初、つぶれた車内のすき間から片手だけが見えている状況。「元気を出せ。もうちょっとや」。尼崎市消防局などのレスキュー隊や救急救命士は林さんの手を握り、数時間にわたって励まし続けたという。

 隊員らは車両の天井部に穴を開けて入り、油圧式ジャッキで、林さんの手の周辺をこじ開けて経路を確保。ペットボトルやスポイトで水を飲ませたり、中に入った医師が点滴を打って体力を維持させた。隊員らに抱え出されて病院に搬送された際、林さんは自分の名前や通学している大学名などをはっきりと答えたという。

 夜通しの救出作業。頭から足まで毛布にスッポリ包まれた生存者の表情をうかがい見ることはできなかったが、無言で遺体を運ぶ静かな警察車両と異なり、サイレンを鳴らしながら走り去る救急車に、見守る報道陣からは「よかった」との声が上がった。

 事故から一夜明けた26日朝、現場近くの上空にはヘリコプターが舞い、多くの警察官が立ち入り禁止のロープをいたるところに張り、物々しい雰囲気。生存者や遺体が運び出される度に、警察官らがブルーシートで隠した。

 午前8時ごろには、搬出作業はほぼ終えた様子で、それまで投光機に照らされた先頭車両内にいたレスキュー隊員らが車外に出たほか、大型の救助車も現場を離れた。衝突現場周辺で、障害物を取り除いていた重機も動きを止めた。

 ◇友人ら駆けつけ、容体を見守る

 3人が搬送された病院では懸命の治療が続いた。大下さんが搬送された西宮市の兵庫医大病院は午前11時から記者会見。病院関係者が「大下さんは、人工透析をして酸素ボンベを付けており、安静が必要。意識ははっきりしていて、搬送直後の危険な状態は乗り越えた。しかし合併症の恐れがあり、予断は許さない」と説明した。

 林さんが搬送された関西労災病院には、容体を心配する友人約20人も集まった。尼崎市消防局によると、林さんは重傷だが、救急隊員との受け答えはしっかりしていたという。山下さんも同病院に搬送され、午前7時半現在、集中治療室で治療が続いている。病院関係者によると、命に別条はないという。

 一方、林さんの自宅ではこの日、母親の友人女性が留守番中。「絶対に死ぬはずがない、と信じていた」と話した。「浩輝君は親思いの優しい子。あんな長い時間閉じ込められて怖かっただろう」と、うっすら涙を浮かべていた。

 ◇マンション住人 尼崎市などのホテルに避難

 列車が衝突したマンションの住人の多くは、JR西日本側が用意した兵庫県尼崎市などのホテルに避難し、今後の居住への不安に駆られていた。

 5階に住む原田博幸さん(28)は「あまりにも悲惨で、もう、あの家には戻れない」と表情をこわばらせた。原田さんは妻と長男(4)、二男(1)の4人家族で、2年前に購入。JRから「当面、ホテルに住んで下さい」と言われたといい、「マンションをJRに買い取ってもらいたい」と怒りをぶちまけた。

 26日午前には荷物を取りに、数組の入居者がマンションへ。7階に住む男性は「倒れるかと思い、家族で避難した。ホテルでも、このまま住めるのかと不安が募った」。

 一方、4階に住む自営業男性(64)は、家族と一緒にマンションで一夜を明かした。「部屋の中は被害はなく、家族の帰りも遅かったので、家で過ごした。年齢も年齢だし、仕事もあるので、ここに住み続けたい」と話した。

脱線事故写真特集
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/photo/0426/